ある楽しみ(=目的)のためにやっていたこと(=手段)がいつの間にか楽しみになっていた、ってことありませんか?
遠足のおやつの買い出し
私が真っ先に思い浮かんだのは、小学生だった頃の、遠足用のおやつの買い出しです。
遠足という楽しいイベントが「目的」で、遠足の前日に上限300円分のおやつを買いに行くのが「手段」です。
300円っていうのは私が小学生だった時の決まり事です。どの地域でも上限300円というのが相場だったと思います。
遠足の前日、学校が終わった後に友達数人とつるんで駄菓子屋に行くんですね。
ここでどれにしようかあれこれ悩むわけです。
駄菓子屋なので、10円とか20円のお菓子がたくさん置いてあって、300円分も買うと袋がパンパンになります。
最も最適な組合せはどれだろうと真剣に選んでいると余裕で2-3時間かかります。
これがまた楽しいんですね。遠足よりも前日のおやつ選びの方が記憶に残っているくらいですから。
旅行の準備
旅行が目的で、旅行の準備が手段の場合も同じパターンだと思います。
LOFTの旅行コーナーで機内で過ごすグッズを見て回ったり、ガイドブックを読んで旅先に思いを馳せたり、空港までの最安ルートを調べたり。
また、ハワイを旅行するのが目的で、空港から飛行機に乗るのが手段だと考えると、これも手段の目的化の好例でしょう。
空港ターミナル内をぶらぶらしたり、免税店でウィンドーショッピングをしたり、搭乗の時刻までコーヒーを飲んだりビールとたこ焼きで一杯やったり。
欲しいものを買うために始めたバイトに、いつの間にかのめり込む、というパターン
仕事だとどうなるんでしょうか。
欲しいものを買う(=目的)ために仕事をする(=手段)。
お金を稼ぐためには誰かの役に立つ必要があります。
誰かの役に立とうとしてあれこれ働いているうちに、実際に相手から感謝されたり認められたりすると、仕事自体がだんだん楽しくなってくる。そんな感じでしょうかね。
下記記事に、森博嗣の『「やりがいのある仕事」という幻想』のフレーズが引用されていました。
スキーがしたい人は、たぶんスキーで滑ることが楽しいのだと思うけれど、スキー板を担いでまた山の上まで登らなければ、続けて滑ることができない。(略) やりたいことをするための準備というものがあるように、仕事だって、やりたいことをするための手段にすぎない。だから、やりたいことがあれば、仕事も自然にやりたいことに含まれるのだろう。
活躍している社員は、仕事を楽しんでいる社員。
スキーを滑る(=目的)ために山の上に登る(=手段)。気づけば、山の上に登ること自体が楽しくなってくるということです。
先ほどのおやつの買い出しや旅行の準備の話にも通じるところがあります。
仕事以外のところに目的があって、そのために働く。仕事そのものが目的にならなかったとしても、別の目的を達成することで喜びを感じることができるなら、そのための手段も有意義なものではないだろうか。
まさにこの通りだと思います。
たまたま入った会社で割り当てられた仕事が、いつの間にか好きになる
一方で、幸せを感じる(=目的)ために仕事をする(=手段)という見方もあります。
社会に貢献したいとか、自立した生活を送りたいとか、誰かの役に立ちたいとか、そんな欲求をかなえるために就職をして仕事に励む。
社会人1年目の人によくある欲求ですね。
仕事の内容には別に好き嫌いもなく、特別なこだわりもなかったんだけれど、やっているうちにその仕事が楽しくなってくる。
そんな感覚です。
こちらの書籍『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』には、幸せを感じるということがうまく説明されていて参考になりました。
①スキルアップすることで、できなかったことができるようになる喜びを感じ、この仕事は自分にしかできない、という誇りを感じること。
②他者から認められることで、精神的な満足を得ること。
この二つの軸を伸ばしていくことで幸福感が増す、というのが著書の主張です。
仕事自体の意味合いを深く考えることはナンセンス
目的がお金儲けにしろ幸福感にしろ、仕事はあくまで「手段」であって、仕事自体の意味合いを深く考えることはナンセンスなんだと思います。
目的が叶えば、仕事の中身なんて何でもいいわけです。
「俺にぴったりな仕事って何なんだろう」、「こういう製品の研究開発をやっているが、この仕事は私にとって本当に天職なのか?」と悩んで心身をすり減らすのが最悪の状態です。
食べるのに困る時代であれば、今日のパンの獲得が目的であり、金が稼げればどんな仕事でもするはずです。
余裕がある今の時代だと、仕事の選択肢が無数にあるため、どれがベストなのかと色々悩んでしまい、精神が疲弊してしまいます。いわゆる決定疲れです。
ですので、仕事を選り好みするのではなくて、プライベートを充実させるための金稼ぎと割り切る。
あるいは幸せを感じるためにとりあえずやってみる、そうすればいつの間にか好きになって「天職」になる、という感じですかね。
私がライフシフトを考え始めている理由
私の場合、今の仕事で一応幸福感が満たされていたので今も辞めずに続けています。
ただし、ずっと同じ専門分野の仕事をやってきたがゆえに、最近はスキルアップによる自己成長の喜びが鈍化したと感じています。
また、職責が上がって、これくらいなら普通にできてもおかしくないだろうっていう見方を暗黙のうちにされています。
したがって、承認欲求も満たされにくくなっています。
だから私はライフシフトすることを考え出すようになったんでしょう。
すごい他人事のように書いていますが、メタ認知するとこういうことなんだと思います。
おまけ:『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』の趣旨
なお、『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』の趣旨は、今の時代に合った新たな労働倫理を提案するというものです。
食べるのに困る時代が終わると、何のために働くのかという無用な悩みが出てきてしまし、心身を消耗しがちになります。
そんな中、とにかく勤勉に働いていれば、皆お金も増えて生活の質が上がり、幸せになれる。
だから、「労働そのものが尊いもので、善く働くことがよいことである」という労働観が生まれました。
これが今も根強く残る勤勉倫理です。がむしゃらに働くモーレツ社員。24時間働けますかのリゲイン。
今の時代は、昔みたいに物質的な生活の質を上げることに幸せを感じなくなって、精神的な幸せを追求する人が多いです。勤勉倫理は合いません。
無用な悩みに意識をとられることなく、精神的な幸せを求めるには、”道”を究め、”つながり”を重視するという考え方がいいということです。
“道”を究めるが①、”つながり”を重視するが②です。
自己実現と呼ばれるもの、つまり、こういう仕事をして社会に貢献するんだっていうのとは違います。
ホームランを打つぞー、と意気揚々と仕事するのが自己実現、良いスイングをすることに意識を向けて、その結果としてホームランが生まれるというのが本著の主張です。
将来の結果にフォーカスするんじゃなくてプロセスにフォーカスしようということ。
「今この瞬間」の行動に意識を向けましょうということです。