イケダハヤト氏のこちらのブログ記事。私はこれを読んで、雷に打たれたような衝撃を受けました。
お金を稼ぎ続けたければ、常に時間に余裕を持っておくべし。パツパツになった時点で、新しいチャレンジに取り掛かることができなくなり、成長スピードが下がり、人材としての価値も落ちていく。長時間労働を続けると、身体の調子も悪くなりがちですし。
暇であるってのはネガティブな意味ではなくて、流されて生きていかないために必要なことだという話。人生観が大きく変わりました。
ヒマが学問を生んだ:古代ギリシャの実話
当時のギリシャはアテネとかスパルタのような都市単位で一つの国家が形成されていました。都市国家とかポリスと呼ばれるものです。
女性はまだ市民扱いされていたかったため、市民=ギリシャ人男性だけだったのですが、なんせ労働は全て奴隷にやらせていましたので、彼らはすごいヒマでした。
ヒマな時間はアゴラと呼ばれる広場に集まって、人々とおしゃべりや議論をしていました。その議論の中で、万物の根源って何だろうということが盛んに取り上げられ、様々な意見が出てきました。水だと言う人。火だと言う人。原子(atom)だと言う人。正直、この頃に原子という概念が出てきたこと自体感動を覚えます。そして、火、風、水、土の4つだと言う人。これはファイナルファンタジーのクリスタルそのものですね。
数だと言った人もいました。万物の根源は数だと言ったのはピタゴラスイッチ、じゃなくてピタゴラスです。
とにかく、世の中には万物の根源となる絶対的な何かがあるはずだと考えて、それを追究することが当時の風潮でした。こういった思考概念を自然哲学と言い、万物の根源をアルケーと言います。
ヒマが学問を生んだという歴史はとても興味深いです。
忙しくて知識を取り入れたり自分で考える余裕がないと、新しいものは何も生まれないし、何ら進歩しないということなんでしょう。ヒマであること、つまり、通常業務は最小限にとどめ、時間的な余裕を持つことが大事なんだということがよく分かります。
なお、ヒマとは古代ギリシャ語でスコレー”schole”と言い、学校”school”の語源になっています。
持論をアウトプットする技術が重宝された時代
一方、その後、世の中には絶対的な何かがあるわけじゃなくて地域や人それぞれで違うんじゃないか、と考える人が出てきました。色々な地域を旅して、現地の人と話をして気づいたのでしょう。
みんなは既存の体制を絶対的なモノだと盲目的に信じているけど、本当はおかしいんじゃないかっていう問題提起をする人が増えてきました。そして、持論を相手にぶつけて、論破できたものが真理だという考え方が広がっていきました。
弁論にたける人がもてはやされる時代でした。持論をもとに様々な人に向けて講演したり教鞭を執る人も出てきました。弁論術を教える人も出てきました。こういった人たちをソフィストと言います。「教師」というのはこのあたりにルーツがあると言われています。
現代の社会人もヒマになるべきだし、持論をアウトプットすべき
社会人って忙しいことが吉だと思っていましたが、今は学びを前進させるためにはヒマであれという考えが腹落ちしています。
また、ソフィストのように、考えは人それぞれということを前提に持論を外へ拡散・展開していく考え方は、ブログやSNSでアウトプットして持論を醸造させたいと考えている今の私にもしっくりきます。
新しい学問、技術の進歩が著しい今日この頃。働きアリになって目の前の仕事ばかりに手を掛けていると新しい知識や技術にキャッチアップできなくなり、5年後10年後に痛い思いをします。知識や技術を身につけるには、多くの時間を投資する必要があります。そして、アウトプットしながら知識や技術を自分のものにしていく。
古代ギリシャの歴史から学ぶことは多いです。
