以前、遷都1300年記念祭が行われている平城宮に行って思ったことを書きます。
平城京跡に、こんな漫画絵がありました。だだっ広い平城宮の広場に多くの人が整然と並び、大極殿にいる王の方を向いている絵です。1,000年以上も前から主従関係をベースとした人間社会が築かれていたことにふと驚きを感じました。
出世すると、仕事の範囲が広がるとともに責任の範囲も大きくなる
人は、自分に与えられた権利に満足していれば、役職の地位は低くてもそこに留まれるのでしょう。個人であれば問題に対して全面的に自らの責任で取り組まないといけませんが、組織なら問題に対してこの範囲はキミ、この範囲はアナタと言った具合に、一人が担う責任範囲が絞られます。
その仕事の範囲に必要な技能や性格を備えている人がそれを担うことで、問題に対する取組力がより強くなりますし、その人自身の稀少価値が生じて、組織に貢献できているという自尊心が生まれてきます。また、仕事の範囲は限られますが、責任の範囲も限定されますので心も軽いはずです。
一方で、今の仕事の範囲は狭いと感じ、責任は大きくなってもいいからスペシャリストをうまく動かしてもっと大きな仕事をしたいと考える人が出世を望むんでしょうね。出世をして、組織のさらに上を目指すということです。
会社には往々にして、自分がやりたい訳ではないのに管理職になり、その責任の大きさに耐えられなくなって辟易したり、心身ともに消耗する人がいます。うつ病になって休職する人の多くは、中間管理職の人々ではないでしょうか。

同調圧力に負けて、無理して管理職になる必要はない
組織人は必ず出世しないといけないのでしょうか?
組織で過ごす年月が長くなるほど、組織で役立つ知識や技能、考え方が身につくでしょう。
しかしながら、だからといってむやみに出世するのではなく、自分の特性に向いていて組織にも貢献できる役職で仕事を全うするのが、自分にとっても組織にとっても良いと思うのですがいかがでしょうか?一度管理職になってしまうと、社内外でさまざまな結びつきができていき、辞めるに辞められなくなります。それこそ体を壊すまで辞められなくなります。
少しでも管理職に関心があるのであれば、別にかまわないです。
管理職という役職に関心がなくて、自分の性格や行動パターンに合わないからむしろ避けたいと思っているのなら、周りに流されて安易に引き受けるなと言いたいです。
同期や同級生が出世して管理職の役職がつくようになると、自分も頑張らなきゃと焦る気持ちはよく分かります。いい年して役職がついていないと、何だかしょぼく感じるのも分かります。周りの目も気になりますし。
でも、一番大事なのは自分の気持ち。
そして、管理職じゃなくても優秀な人ってたくさんいます。管理職じゃない人=仕事ができない窓際族のおじさん、ではありません。
この先、私のように管理職を目指さない人が増えていくのではないでしょうか?
自分の身近にいる中間管理職の人たちをよく観察してみて下さい。そして、本当に管理職の仕事がしたいのか、自分の胸に聞いてみて下さい。
