マズローの欲求5段階の一番下は「生理的欲求」です。
食べたい、飲みたい、寝たいという本能的なものです。
その上が「安全欲求」です。
危険から身を守りたいというもので、住む家を持ち、日々の生活費を支えるための安定的な収入を得たいと思う気持ちです。
その上が「社会的欲求」です。
集団に所属したい、家庭を持ちたいというものです。
承認欲求:他者から認められたいという欲求
「社会的欲求」の上は「承認欲求」です。他者から認められたいという欲求です。
つばめが自分の家の軒先に巣を作ってくれたら、つばめの雛を天敵のカラスから守るために囲いを作ってあげよう。そんな気持ちになります。
自分を頼りにしてくれたり、寄ってきて甘えてくれる人はかわいく感じます。
お店だったら、常連さん、ひいきにしてくれるお客さんですね。
私の場合は、今は2人の子どもですね。世話は焼けますが、いつもくっついてきたり話しかけてきたり、おふざけをしたりと私を離しません。
自分をひいきにしてくれる人がいると、この承認欲求が満たされるんだと思います。
逆に、自分が頼りにさせてもらった場合も、単純に自分の困りごとが解決するだけじゃなくて、その人に恩を感じて、また頼らせてもらおうという安心感を得ることもできます。
いいことだけじゃなくて”迷惑”の貸し借りも同じです。
迷惑かける人は相手に詫びを入れようと誠意を見せますし、迷惑をかけられた方は、しゃーないなあと助けたり我慢して許してあげる、これで双方の感情が揺さぶられて絆ができるんでしょうね。
どこかで読んだんですが、人と人との関係は”恩”の貸し借りで成り立っている、だからどんどん相手を頼ったり迷惑をかければいいという記述がありました。
まさにその通りなんでしょうね。
Self-Actualization:自分らしく生きていきたいという欲求
そして、一番上が「Self-Actualizationの欲求」です。
日本語では自己実現の欲求と呼びますが、この”自己実現”という言葉がふわふわしたとらえどころのないものですので、敢えて元の英語のSelf-Actualizationと表現しました。
「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」というのは、欠乏しているものを満たしていくプロセスでした。
一方、「Self-Actualizationの欲求」とは文字通り、”自分らしさを顕在化させる”という意味です。
自分らしく生きていく、自分の良さを発揮して生きていく、自分がしたいことをして生きていくということです。
語弊を恐れずに言うと、わがままに生きていくことと同義でもあります。
Self-Actualization:家庭持ちの中堅社員になると「承認欲求」まで満たされるようになり、「Self-Actualizationの欲求」が強まる
「生理的欲求」「安全欲求」はいいとして、私のような30代の中堅社員になると、会社だけじゃなくて家庭も持って「社会的欲求」が満たされ、会社や家庭からも頼りにされて「承認欲求」も満たされるようになります。
そうするとその上の「Self-Actualizationの欲求」というのがますます強くなってくるのでしょう。
私の最近の考え事は、まさにSelf-Actualizationをしていきたいけれど今の環境にいると実現できない、これまで満たされてきた欠乏欲求を捨ててでもSelf-Actualizationに向けて走り出すか否か、ということです。
私が昔住んでいたところを旅したり、自分の好きなことを棚卸ししたりしているのは、Self(自分らしさ)って何だろうという問いを追究する姿そのものなんだと思います。