30代の生き方、働き方

【集団行動が苦手な人は安心してほしい】仕事のパイを取り合う「共同作業」よりも、最初から仕事が割り振られている「分業」が好きだ。

私は、仕事のパイを取り合う「共同作業」よりも、各人に予め仕事が割り振られている「分業」の方が好きです。小学生の頃にあった行事のことを思い出して、そう確信しました。

みんなでバーベキューの準備をするの、苦手ではありませんか?学校のクラスで出し物を準備するの、苦手ではありませんでしたか?

何をしていいかわからず立ち尽くしてしまう人。ぜひこの記事を読んでください。共感するところがあると思います。

共同で作業するのは苦手だ。積極的に動く人を見て辟易してしまう。

私は、昔から共同で作業するのは苦手でした。小学校の行事で河原で飯ごう炊飯をした時、何かやりたいんだけど何をしていいか分からず、周りをキョロキョロ見回しては、周囲の真似をして薪を拾ったり石を並べたりしました。

一方、「要領がいい」人や「積極的な」人は、自分でどんどん仕事を見つけてはもくもくとこなしていきます。

はじめから役割分担が決まっているわけではないため、「要領のいい」「積極的な」人が仕事のパイを取りまくっていきます。特に、イニシアチブを取りたいという欲求に満ちた「積極的な」人の勢いはすごいものがあります。私なんて辟易してしまいます。

そして、他の人が残りの限られたパイ(簡単な作業)を奪い合うという構図です。

私がもし飯ごうの使い方やカレーの作り方を知っていたら、もっと”高級”な仕事に携われたのでしょうが、それを知りませんでした。そもそも飯ごう炊飯自体あまり好きではありませんでしたし、1年に1回やるかやらんかの行事でしたから、作業を覚えようという気になりませんでした。

その上、私の家族はアウトドア派ではありませんでしたので、飯ごう炊飯をする機会というのはこの小学校の行事のときだけでした。飯ごう炊飯に対する意欲も機会もありませんでしたので、”高級”な仕事をできるわけがありません。

けれども、はみごになるのは嫌でしたから、”低級”な作業をやって、ちゃんと貢献していますよと周りにそれとなくアピールしながら参加していました。

河原で食べるカレーはおいしくいただきましたが、深く貢献できなかったなという恨めしさも引きずっていて、心から楽しめることはありませんでした。

個々がそれぞれ自分の役割を果たす「分業」は好きだ。

飯ごう炊飯のような、仕事のパイ(役割)を複数人で取り合うスタイルの対極にあるのが、「分業」です。あらかじめみんなに仕事が割り振られているスタイルです。

私は、「分業」の方が好きです。仕事のパイを取りに行かないといけないという余計なプレッシャーを感じずに済みますので、自分の仕事に集中することができます。

集団行動、共同作業が得意な人=仕事ができる人ではない。

世の中の仕事の大半は「共同作業」スタイルではなく、「分業」スタイルだと思います。

「分業」の場合、「要領のいい」「積極的な」人ではなく、「知識とスキルがある」人が優遇されます。会社だと、経理に精通する人が経理部で働き、機械や電気に精通する人が生産技術部で働きます。

小学校のとき、いくら要領がよくて積極的な生徒だったとしても、知識とスキルがなければ社会では通用しません。

逆に、集団行動が苦手で、飯ごう炊飯のような共同作業が嫌で仕方がなかった生徒でも、知識とスキルを身につければ社会で活躍できる人材になります。

とはいえ、大人になってからも「共同作業」をする機会ってあるんですよね・・・。職場の同僚でバーベキューをしたり、リレーマラソンに出たり、キャンプに出かけたり。

こういった共同作業は、知識やスキルに差がないことが多いため、「要領のいい」人、「積極的な」人が仕事の大半を”奪って”いきます。私のようにあまり要領がよくなくて消極的な人は、少々みじめな気持ちになります。こればっかりはどうしようもないです。

どうしても”活躍”したいのなら、バーベキューやキャンプの場数を踏んで知識やスキルを上げていくほかありません。

自分が好きなことを勉強する、が正しい。

仕事にしろバーベキューにしろ、知識とスキルを高める前提として、それが好きでなければなりません。当たり前ですが、好きなことだからこそ勉強してその知識とスキルが高まっていきます。好きじゃないことだと、モチベーションが続きません。

一度でいいから、やってみて自分が好きそうかどうか確かめる。食わず嫌いは損!

ただし、食わず嫌いはNGです。実際にやりもせず、「これは好きになれないな」と最初から決めつけてしまうのはマズいです。

私は、バーベキューは端から苦手だ、自分にはできないと思い込んでいましたが、いざ焼きそばを焼いてみたりするとそんなに難しくないし、おおうまく作れたという喜びも感じられてなかなか楽しかったです。

下手くそ、素人でもいいから、「積極的な」人の横やりなんて無視して、一回やってみればいいと思います。

それにしても、慣れない人がやろうとするとイチイチ文句を言ったり講釈を垂れるヤツいますよね。私はこういう人が大嫌いです。妙にこだわりがあるヤツ。偉そうな鍋奉行、というと分かりやすいですかね。

大学に入ってから友達と初めて麻雀をやったときも、浪人時代から麻雀をやっている友達に後ろから自分の打ち手を非難されては頭をはたかれました。漫才のボケとツッコミのように。私はこのせいで麻雀が大嫌いになりました。

集団行動、共同作業が嫌いになる原因って、大概はこういうヤツのせいではないでしょうか。

共同作業でも苦にならないものがある。それはミッションのない”遊び”だ。

飯ごう炊飯の場合、カレーを作るという「ミッション」がありました。ところが、それが単なる「遊び」の場合、そこに達成すべきミッションはありません。

したがって、友達の間で役割を分担する必要性がなく、仕事のパイ(役割)を取り合うという発想もありません。一緒に同じ「遊び」を楽しみます。みんなで同じ「遊び」をしてるんですが、お互いに干渉し得ない状態です。

こういった、ミッションのない共同作業は、苦ではなくむしろ好きでした。友達と一緒に居ることで所属意識が自然と満たされましたし、友達と一緒に”行動”することで、一人だと心理的ハードルが高くて手を出さないような遊びができて行動の幅が広がりましたしね。

例えば、隣町の山の中の池まで自転車で遠出してカメを探しにいく、という遊びがそうでした。小学校の休憩時間に机の上で消しゴムを弾いて相手の消しゴムを落とす「けし落とし」、業間や昼休みに校庭でやったドッジボールもそうでしたね。

思い返すと、小学生時代は友達と遊ぶことが多かったなあと思います。同じマンションの仲間やクラスの友達など。一人遊びってのはそれほどやってなかったです。

ミッションのない、純粋に楽しい「遊び」をみんなで共有していたから、好き好んで共同作業ができたのでしょう。

まとめ

世の中、仕事のパイを取り合う「共同作業」よりも、最初から仕事が割り振られている「分業」の方が圧倒的に多いと思います。ですので、「要領のいい」「積極的な」人を見て卑屈になる必要なんてなく、地味にコツコツと「知識とスキル」を身につけることに力点を置くことで人生が楽になっていきます。