私は人に会うとき、いつも不安に思うことがあります。
それは、相手は私のことを覚えてくれているだろうかということです。
こちらは相手のことを覚えていても、相手がこちらのことを覚えていなかったということが過去何度かあったからです。
入社1年目に受けたショック
入社1年目の頃、社員寮のお風呂で、入社前の懇親会で一緒だった同期生を見かけて「久しぶり」と声を掛けたのですが、「えっ、誰?」っていう反応をされたことがあります。
自分の名を名乗っても「すいません分かりません」って言われ、ひどくショックを受けました。
私はあまり目立つタイプではありませんし、目立とうとする気持ちもあまりないため、こちらの印象が薄いのは仕方がないと思っています。
また、この同期生はキャラが濃くて同期の間でも有名人でした。
入社前の懇親会といっても1年以上前でしたし、おまけに会社に入ってからはこの人と一度も話をする機会がありませんでしたので、冷静に考えるとまああり得る話だったわけです。。。
いずれにせよ、こういう過去の出来事が一種のトラウマのようになっていて、過去、密に交流があった人に対しても、久しぶりに会うと構えてしまうようになりました。
同窓会が不安でたまらなかった
先日もある同窓会があったのですが、久しぶりとこちらから声を掛けるのが怖くてうつむきがちになったり、忙しそうに振る舞うことで声を掛けずに済むという状態を正当化しようとしてしまいました。
向こうは当然私のことを覚えてくれています。お酒が入って席が近くになってようやく心を開くことができ、昔話に花が咲いたという具合です。
この同窓会、周りが個性の強い人たちばかりでしたので、私のことなんて印象に残ってないんじゃないかと本気で思っていました。
相手からすれば、自分のことを忘れちゃったのか、何で声を掛けてくれないのと不快な気持ちにさせてしまっているかもしれません。
相手に誰でしたっけ?と言われないようリスクヘッジすることが、相手に失礼な態度になったり、自分自身がその場に溶け込みにくい原因になっているなあと思います。
相手からの印象が薄くてもいいじゃん、という割り切りができるようになりたいです。
自分の声が通らない・・・
あと、私は声が通らないし、自信がなくて声のトーンも小さくなってしまうため、何かしゃべっても聞き返されたり流されることがよくあります。
これで自信を失い、口をつぐんでしまう負のスパイラル・・・。
特に、会場がガチャガチャして賑やかだとホント声が通らないです。
自分の声が届かずショックを受けるよりは、聞き手に回って笑っている方がラクなので、集まりの中で自分の話ができず、結果的に印象を薄くしてしまいます。
そして、「あのとき自分いたっけ?」と後々言われることになるのです。
言われると辛い言葉:「あのとき自分いたっけ?」
佐渡島氏のnoteで、人は二度死ぬという記事がありました。
一度目は肉体的な死で、二度目は忘却による死だと言います。
すなわち、全ての人が、その人の存在を忘れてしまった時に本当に人は死ぬということです。
他者の記憶から自分の存在が消えてしまうというのは本当に辛いことです。
「あのとき自分いたっけ?」と言われると、言った相手に悪気はなくても、言われた方は胸にぐさりと突き刺さります。
敢えてそのコが存在していないかのように振る舞うというイジメがあると思いますが、あれは陰湿極まりないです。
周囲から存在を認めてもらえない=死、というのは言い得て妙だと思いました。
自分の存在を認知してもらうためには
自分の存在を認知してもらうためには、「他人と過ごす時間の長さ」×「インパクト」を大きくする必要があると思います。
「インパクト」というと自分のことを積極的にしゃべるというイメージがありますが、正しくは自分が自分の気持ちに沿って生きていて、その生き方が他人から見て斬新だったり、興味深かったりするとインパクトになるんだと思います。
ですので、組織に依存しすぎて組織に埋もれ、没個性的になるのではなく、自分が純粋に面白いと思ったことは色々やってみるのがいいんだと考えています。
そして、そのためには自分の興味や感情に敏感になれるよう、自分自身の気持ちを発信する時間を大切にし、ストレスや多忙状態をなくして思考停止に陥らないようにすることが重要だなあと思いました。