30代の生き方、働き方

親密な間柄だからこそ、まともな会話がしにくくなる

親密な人よりも少し距離感のある人とのほうが、真面目な話や本音トークがしやすいと思いませんか?

親密な人というのは、例えば、両親、兄弟、結婚相手、親友、付き合っている人、などのことです。

一見、親密な間柄=何でも言える仲、と思われがちですが、実は逆なんじゃないでしょうか。

つまり、親密な間柄であるほど、まともに話しづらくなるという仮説です。

何でもオープンにする友人カップルへの違和感

大学生の頃、彼女とは隠し事を一切しない、メールはすぐ返す、というルールを設けてた友達がいました。お互いに束縛し合うような関係。それがお互いに対する信頼になっていたようですが・・・。

私にはそんなの無理だなと思いました。

何でもかんでも話せる夫婦、カップルってのは幻想ではないでしょうか?

むしろ、夫婦、カップルだからこそ、お互いにクローズにするべき範囲が増えていくのではないでしょうか。

親密になると、むしろ自分をオープンにしなくて済むようになる

距離が縮まっていくということは、お互いの信頼が高まることでもあります。そうすると、イチイチ相手の言動を疑ってかかるようなことはしなくなります。

前述のオープンすぎる関係は、かえってお互いを信頼しきれてないことの裏返しでもあります。

したがって、親密度が増えるとたくさんのプライベートエリアが持てるようになります。

親密になると、相手と一定の間隔を取りたくなる

それから、親密度が増えると、お互いに合わない部分がバッティングして不快になることが増えます。相手のちょっとした仕草が気に食わなかったり、食べ方やいびきの音や口癖にいちいち引っかかるようになります。

こんな時、不快感を正直に伝えるのも一手ですが、それで解決する話ではありません。相手はこちらを不快にしようとしてやっているわけではないですから。不快と感じている原因はそっちでしょ、と言われておしまいです。

逆に、こちらの仕草が相手の不快感を招くことだってあります。

こういう些細なバッティングの積み重ねが関係破綻につながったりします。

だからこそ、プライベートエリアがたっぷり必要なんだと思います。

プライベートエリアというよりは、バッファと呼んだ方がしっくりくるかもしれません。

要は、お互いに一定のプライベートを確保し合いましょうということです。自分の芝生の上に「Keep off the grass.」と書いた看板を掲げるんです。

原子と原子は、お互いに引き合って近づこうとします。しかしながら、原子間距離が小さすぎると逆に斥力が働いて不安定になります。その結果、原子間は一定の距離を空けて結合を形成するわけですが・・・。

これと同じで、親密度が増すほど相手の嫌なところに反応しがちになり不安定になります。そこで、お互いに一定の距離(バッファ)を保つことで安定なところを探るわけです。

親や兄弟の場合だと、幼少の頃から一緒に過ごしてきた間柄なわけだし、今さら自分の全てをさらけ出す必要なぞ感じません。

広いプライベートエリアを確保していると、本当の自分を話しづらくなる

相手と親密な間柄を維持するためにプライベートエリアを確保していると、本当の自分を相手に全てひけらかすことがなくなります。

その結果、素の自分を出すのが何だか恥ずかしくなっていきます。なんというか、真面目な話をするのが気恥ずかしくなって、まともな会話がしづらくなっていきます。

思春期を迎えてあまり話をしなくなった親に対して、大人になってからも自分をさらけ出せないだとか、それまでは恋人だった人が結婚して配偶者になり、子どももでき、いつのまにか会話が少なくなってしまったりだとか、そういう現象の原因はここにあるのではないかと考えています。

自分のことを話そうとしたがうまくいかなかった挫折が拍車をかける

それでも、相手に自分のことを話したくて、頑張って話そうとします。しかしながら、他の会話にかき消されたり、スルーされたり、あまりいいリアクションが返ってこなかったりしたらどうでしょうか?

余計に引っ込み思案になってしまいます。一種の挫折体験ですね。

いつもと違うことをしているわけで、相手からすると違和感の何物でもなかったのでしょう。こうなるのも分かる気がします。

ということで・・・

親密な人よりも少し距離感のある人とのほうが、真面目な話や本音トークがしやすい、というのは、一部の人にとっては真理なのではないでしょうか?

親密な人と真面目な話をしようとするときの気恥ずかしさを解消する方法までは至っていませんが、気恥ずかしさを感じてしまう原因はなんとなく分かったように思います。

参考になれば幸いです。

 

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