30代の生き方、働き方

自分のためにも組織のためにも「いい人」をやめる

みんな、「いい人」から脱却するべきです。

私も元来「いい人」なるところがあって、頼まれると断れないタイプでした。仕事が増えて自分の時間が減ることよりも、人から嫌われるほうがイヤでした。

最近は少しずつ、「いい人」からの脱却を試みています。

自分の中で優先順位が定まって来たこともあり、雑務を積極的に断るようになりました。自分の時間が貴重なので、自然と「いい人」から脱却している、と言ったほうが正しいかもしれません。

「いい人」になって雑務を引き受けると、いずれは周囲の人を恨めしく思うようになる

「いい人」を続けて身の丈に合わない雑務を引き受けたら、その時は「みんな」の役に立ったようでスッキリした気分になります。

しかしながら、やがて雑務への対応が始まると、雑務に忙殺されてヒーヒー言って、やがて「みんな」に対して恨めしい気持ちが湧いてきます。

なんで俺はこんなに苦労してるのにあいつらは…みたいに。

その雑務が自分の中の優先順位の高いところにあるなら、そんな気持ちは湧いてこないはずです。

自己犠牲を美徳とする価値観が「いい人」の温床になっている

日本のムラ社会独特の性質なのでしょうか。社会からの要請を過度に受容し、個人の都合は押し殺してしまう。そして、溜まった鬱憤が愚痴となって会話のネタを席巻してしまう。

自己犠牲を美徳とする価値観の中にいると、自ら「いい人」になろうとしてしまいます。

そして、無意識のうちに、他人に対しても自己犠牲を強要するようになります。

「いい人」は社畜マインドである

「いい人」ってのは社畜マインドでもあります。

自分の中に優先順位がないから、プレッシャーに負けて雑務を引き受けてしまうのです。その結果、のちのち苦労して周りを人知れず恨むようになります。

自分がすでに持っている仕事を過小評価したり、実力を過大評価する人も、雑務を引き受けてしまいがちです。

わらしべ長者で何でも断らずに引き受ける戦略は一理あるかもしれませんが、自分とほとんど関わりのないところでわらしべ長者を実践しても、その負荷に見合ったものは得られないと思います。

なぜなら、そこは自分の母艦となる土俵ではないからです。安い報酬で赤の他人のために働いているのとおんなじです。

自分の気持ちを完全に無視してしまっています。

「自分をだますくらいなら他人をだます方がマシだ」

ツイッター上で、「自分をだますくらいなら他人をだます方がマシだ」みたいな金言が投稿されていましたが、まさにその通りだと思います。

他に引き受けてくれそうな人がいなかったから…とか、そういう空気だったからと言って、自分が安請け合いしてしまうのは問題ですよ、やっぱり。

自分の気持ちをだましているわけですから。

「いい人」が、時代錯誤なシステムを存続させてしまっている

しかも、ブラック企業の存続メカニズムと同じで、身の丈(または給料)に見合わない仕事量を甘んじて受け入れてる人がいる限り、周りは変わりません。

誰も雑務を引き受けてくれない事態になって初めて、システムや制度の見直しにインセンティブが生まれるからです。

「いい人」は、時代錯誤なシステムの存続に加担してしまっている…なんとも皮肉な話です。

互助精神はフェアでない

互助精神は大事ですが、そこには「一人ひとりが平等に負担しましょう」「ただし、高齢の方の負担は軽くしましょう、若い人が積極的に負担しましょう」というニュアンスが込められています。

そこには、個々の負荷状況や家庭状況は基本的に考慮されていません。考慮されるのは年齢ばかり。

今の時代、人生100年と言われているくらいです。高齢でも元気な人はたくさんいます。そして、高齢化社会により、高齢者の人口割合は増えています。

そんな現実を無視して、いつまでも高齢者を優遇して若い人に負担を強いるのはおかしいです。むしろ、子育て世代の方が時間がなくて大変です。

互助精神という言葉はアンフェアで好きじゃありません。時代に合わない高齢者優遇を存続させるためのきれいごとだと言わざるを得ません。

素直にノーを表明する

私たちは素直にノーと表明すればいい。ノーと言ってしばらくは罪悪感を感じるかもしれませんが、そんなの1日経てばなくなります。

特に、子育て世代の命題はいかに自分の時間を確保するかであり、それを脅かすものは断固として拒否しなければなりません。 

要は、自分の価値観に基づいて優先順位をつけるべきであり、外野からの「せねばならない」に折れることは自分の価値観を自分で踏みにじるのと同義です。

最後に、『7つの習慣』に書かれている、私が好きな言葉を引用します。

私は、奉仕活動に参加すべきでないと言っているのではない。そうしたものは非常に大切である。しかし、最も優先すべきことが何なのか、しっかりと決めておかなければならない。そして、気持ちよく、笑顔で、率直に、それ以外のことに対して「ノー」と言う勇気を持つ必要があるのだ。ためらうことなく、「ノー」と言えるようになる秘訣は、自分の中でもっと強い、燃えるような大きな「イエス」を持つことである。小事に振り回されてはならない。「最良」の敵は「良い」なのだ。