会社で出世することに対して、以前はこのようなイメージを持っていました。
出世=かっこいい、高給がもらえる、周囲に認められる、社会的地位が確保される・・・。
いや、むしろ出世するのが当たり前で、出世しなかったらカッコ悪い、落ちこぼれ、窓際族・・・というイメージです。だから、プライドを維持するために出世を目指して頑張ろう、みたいなやつです。
しかし、実際に管理職になる年齢に近づき、少し上の同僚たちが何事もなく管理職に上がっていくさまを見ていると、自分はこのまま管理職に上がりたくないと固く思うようになりました。
歳をとると、個人のレベルが上がらなくなる
歳をとると、周りからすると扱いやすさがどんどん下がっていきます。目上の人に対して頼み事をしたり助けを請うのって、やっぱ気構えますからね。
また、歳をとると今まで蓄積したパターンで楽に仕事がこなせるようになります。人によりますが、結婚して子どもが生まれると家庭で過ごす時間のウェイトが上がります。
すると、モチベーションの観点や時間の制約から勉強や情報収集がおろそかになりがちになります。知識やスキルをアップデートしないと、当然、自分の持っているものが古ぼけてしまい、価値が下がっていってしまいます。
一方で、歳をとると仕事の勘が磨かれ、業界にも精通し、人的コネクションが蓄積されていきます。だから管理職としての活躍を期待されるんでしょう。
でもね、管理職になると個人のレベルはますます上がらなくなると思うんです。
マネジメントが好きでマネジメントのスキルを高めたいなら問題ありませんが、そうでない人にとっては問題です。日々マネジメントの仕事をするわけですから、個人の知識やスキルを磨く機会が必然的に減ってしまいます。
管理職になると、会社の外に意識が向きづらくなる
このまま管理職になってしまうと、ますます組織の中で評価される方向に意識が向いてしまい、良くないと感じています。
マネジメントの仕事は大変だと思います。管理職は日々の仕事に忙殺され、外に意識を向けることすらしなくなるのではないか・・・。やっぱり個人として力をつけて、組織をはみ出していける方向を向いていたいです。
そもそも何で会社に入ったんだっけ?
そもそも会社に入ったのは、会社に貢献するためじゃなかったはずです。そんな高貴な目的、持ってる人の方が珍しいです。
会社に入った目的は、給料をもらって生活を自立させることやスキルアップすること、ステータスを得ることだったはず。結局は、自分のQOL(quality of life)を向上させるためです。 会社への貢献は結果論でしかない。
そう考えると、会社の事情ばかり優先するのはナンセンスです。自分がどう会社を活用してQOLを上げるかを考えなきゃ。
極端な話、管理職になると、会社の事情だけを優先しなければならなくなるでしょう。自分のQOLはそっちのけにしてしまいそうです。それは嫌ですね。
だから、個人として会社を利用しようって考え方は間違ってないし、決して会社を裏切るような行為ではなかろうと思います。そもそも会社なんて虚構でしかないんですし(『サピエンス全史』より)。
本業はどんどん楽してやるべき
ここ最近、本業がつまらなくて、いかに手抜きするかばかり考えています。それなりにやりがいのある仕事なのですが、他にやりたいことがあって関心が向かないという感じです。
すると、「自分のリソースは最小限に押さえてでも、今までと同レベルのクオリティで成果をあげられるか?」という新たな命題が現れます。ある意味、関心を引くテーマになってきています。
予算を使って外注をフル活用したり、半ばお任せに近い形で関係者に仕事を振るなど。
こうやって本業に向ける自分のリソースを減らすと、ちょっとした罪悪感を感じます。「こんなんでお金もらっていいのだろうか」という気持ちです。
そして、周りは頑張っているから自分ももっと本業に力を注がないと、とか、上司にマンパワーの裕度があることを申告して部署内の仕事をもっと受け持った方がいいのではと思うようになります。
これ、感じる必要のない罪悪感です。 マンパワーの単位は成果の量であって、精神的、肉体的な負担量ではありません。我々の頭の中はどうしても時給の概念があるため、精神的、肉体的な負担量をマンパワーの目安にしてしまいます。
好きなこと、やりたいことに時間を注ぐべき
「自分のリソースは最小限に押さえてでも、今までと同レベルのクオリティで成果をあげられるか?」も重要ですが、何よりも、本業の傍らでやっているhighly interestedな分野の勉強、本業化を本気でやりたいですね。
こちらが私の生きたい人生なので。