私は時折、仕事で出張に行くことがあります。
出張に行くたび、いつも思うことがあります。「家族は遠きにありて思うもの」ということです。
最近の出張で感じた家族愛
最近も2泊で出張に出掛けたのですが、いろいろな場面で家族のことが頭に浮かびました。
例えば、駅からタクシーで訪問先に向かっている途中、幼稚園の園庭でピンクの運動帽をかぶった子どもたちが走り回ったりすべり台を滑ったりするのを見かけました。平日の10時くらいです。今頃、うちの子も幼稚園で楽しく遊んでいるんかなーと思いました。
ホテルの部屋のドアを開けるとき、自分が仕事から帰ってきたときのことを思い出しました。子ども2人が駆け寄ってきて自分が来ている服をアピールしてきたり、消防車のおもちゃを持ってきてしょうぼうしゃ!と主張してくる場面が目に浮かびました。
夜、ホテルでパソコン作業をしていると、ふと家族の顔が見たくなり、スマホの写真や動画を見て笑いました。
ホテルの近くにショッピングモールがあり、そこのフードコートで晩ご飯を食べていると、休日に家族4人でフードコートでご飯を食べている様子が頭に浮かびました。一人だと落ち着いて食べられるけどやっぱり寂しいなーと思いました。
そして、ホテルのベッドで寝ようとすると家の狭い布団で4人で寝ている様子が思い浮かび、一人だと広々としていいけどやっぱりみんなと一緒がいいなあと思いました。
家族は遠きにありて思うもの
ふるさとは遠きにありて思うもの、という言葉があります。家族も同じだなあと思います。
普段は毎日一緒にいるので家族のありがたみを実感しにくいのですが、出張で家族と少しの間離れると、家族のありがたみがよく分かるようになります。
単身赴任のお父さんが週末に家に帰ると子どもたちがかわいくて仕方がないのも同じで、普段会ってないからこそなんでしょうね。
ちょっと違うかもしれませんが、サザエさんで、フネが一日出掛けて家にいないときに他のみんながバタバタしながら家事をしたり掃除をしたりして、フネのありがたさを感じるという回がありました。あれも同じだと思いました。
日頃享受している恩恵の稀少性を高めよう
私たちが日頃享受している恩恵に対し、ありがたいと感じることって滅多にありません。それが当たり前になっているからです。「稀少性」がないから、と言い換えることもできます。
出張は、家族という恩恵の稀少性を高めます。
出張に限らず、少しの間、家族から離れることで、家族への感謝の思いが湧いてきます。また、一人で過ごす時間が確保できますので、いい息抜きにもなります。
したがって、お父さんもお母さんも、定期的に自分一人の時間を確保すべきです。私にとっては、それが出張です。

ふと思ったのですが、キリスト教の食前の祈りって、日ごろ享受している”食事”という恩恵に対して稀少性を与えるためのものなんですよね。
家族から離れるのが短期間だからよい
単身で海外赴任して家族と何ヶ月も離れていると、稀少性うんぬんの話ではなくなり、家族という恩恵そのものが小さくなってしまうと思います。そうすると、家族への想いが薄れてきてしまい、最悪、離婚という事態になりかねません。
インターネットで繋がれるとはいえ、生身のコミュニケーションを代替できるものではないですし。芸能人カップルの離婚が多いのは、お互いに忙しくて一緒に過ごす時間が取れないからでしょう。
時々、短時間家族と離れるのはいいですけど、長期にわたり家族に会えない状態は危険だと思います。ですので、私がもし海外赴任を命じられたら、家族と一緒にいける国なら同伴して行きますし、そういう国でなければ、会社を辞める覚悟で拒否すると思います。
